2024.8 湊かたりべの会と会津こと葉の会、湊の「カフェはら笑」で初の交流会
8月25日、湊かたりべの会と会津こと葉の会の交流会が、「カフェはら笑」をお借りして行われました。湊かたりべの会から6名、会津こと葉の会から7名が参加しました。
湊かたりべの会は、これまで磐梯昔語りの会ゆずりはと何度か交流していましたが、会津こと葉の会のメンバーは、そのゆずりはのメンバーと重なる方が多いので、とても初めての交流とは思えないものでした。
交流会は、午前10時からはら笑の交流ルームで始まり、下のようなプログラムで進行しました。
当初予定の司会者が、急遽ご家族の体調の関係で参加できなくなったために、司会進行は私が担当しました。
まず、歓迎の意味を込めて、地元の湊かたりべの会の田中フミ子会長があいさつをされ、次いで会津こと葉の会の管サチ子会長があいさつをされました。
昔語りの交流では、私がトップバッターで「夜泣き石」の伝説を語りました。
「夜泣き石」は、一般的には「に水戸から会津に来て松平に仕えた侍がいて……」と、江戸時代の話として語られることが多いのですが、湊に伝わる「夜泣き石」は「蘆名家の譜代の家臣の息子で……」と、蘆名時代の話として伝わっています。話の筋は省略しますが、「切腹して果てた若侍の奥方が寄る辺を頼って常陸の国に逃れようと戸ノ口原に差し掛かり……」と続きます。江戸時代版では、「水戸に逃げ延びようと……」と内容的には似ています。
もしかしたら、前にもこのブログで書いたかもしれませんが、蘆名氏は伊達氏や田村氏などと敵対していて、常陸の佐竹氏と同盟を結んでいた事実を考えると、「夜泣き石」は蘆名時代を背景にした方が説得力があるのではと考え、私は湊に伝わる「夜泣き石」を語っています。そんな、少々長い前置きも入れながら「夜泣き石」を語りました。
昔語り交流の後は、「カフェはら笑」のランチをいただき、湊住民のソウルフード〝とうふ餅〟を美味しい、美味しいと言って食べながらの交流となり、各代表の締めの挨拶をいただいて閉会しました。
次の交流の機会を楽しみにしたいと思います。
この記事へのコメント