2024.8 力まずしなやかに、聴くものを励まし続けた高石ともやさん逝く

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 8月17日、フォークシンガーの高石ともやさんが亡くなりました。私にとって思い出いっぱいの人です──と言っても1ファンとしての思い出ではありますが。
 上の記事は20日付「福島民報」紙の記事ですが、氏の代表作・ヒット作でもある「受験生ブルース」、「思い出の赤いヤッケ」は私が18、19歳の頃に仲間とよく歌った歌です。

 私は、27歳の時からいわゆる「労音」活動に関わり、会津労音の解散を受け発足した会津音楽鑑賞友の会(通称・会津音鑑あるいは友の会)の事務局を20年近く担当することになったのですが、当時(=1977年のこと)高石さんが組んでいたブルーグラスバンド、ザ・ナターシャー・セブンの大ファンだった人に感化され、私もブルーグラスとザ・ナターシャー・セブンのとりこになってしまいました。
 アメリカの伝統的な曲や、ヨーロッパ由来の曲、そしてオリジナル曲などナターシャーの定番曲107曲を収録した「107(イチマルナナ)SONG BOOK」はもちろん買い求めましたし、それを収録したLPレコード・シリーズも全て買い揃えました。レコード化は何年かを要していましたから、その後4~5年ほどかかったように記憶しています。
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 (高石ともやさんのホームページからコピーしました。)

 で、77年だったか78年だったか忘れてしまいましたが、季節は秋(だったと思いますが……)、その熱烈ファンのKさんに誘われてナターシャー・セブンの「昼下がりコンサート」に参加するために、はるばる円山野音まで行ってきました。ナターシャーだけでなく、杉田二郎さん、自切俳人(じきるはいど=北山修)、永六輔さん、シモンズ……などなど多彩なゲストと共に展開したライブは楽しく、抱腹絶倒かつアットホームなもので今も鮮明に覚えています。

 その後、会津音鑑の例会にも3回出演していただき、バンジョーの城田じゅんじさんとマネージャーの榊原詩朗さんに事前PRに来ていただき、地元会津のブルーグラス・バンドとミニライブをやっていただいたりと大いに盛り上がりました。
 ただ、マネージャーの榊原さんが、1982年のホテル・ニュージャパンの火災で犠牲になられたりしたことなど、私自身もショックを受けた出来事もありました。

 そんなこんなで、高石ともやとザ・ナターシャー・セブンには、思い出がたくさんあります。ナターシャー・セブンそのものが解散してからはもう随分になってしまいましたが、ナターシャーの時代から晩年まで聴く者を〝力まずしなやかに〟励まし続けた高石ともやさんのご冥福をお祈りいたします。(合掌)

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