2024.7 湊かたりべの会例会で「湊温泉物語」を脚色し世間話風に私が創作した「しぼ湯の里」を紹介する
7月10日、毎月1回行っている湊かたりべの会の例会が湊公民館で行われました。
この日は、8月25日に湊で実施する「会津こと葉の会」の皆さんとの交流会の詳細についてを中心に打合せをしました。
「こと葉の会」との交流は、カフェはら笑を会場に行われ、それぞれの会が5名ずつ昔語りを行い、その後カフェで昼食交流しようということになりました。
当日何を語るかを出し合い、予行演習的に、8月19日に会内で語ってみることにしました。
因みに、私は、西田面の故阿部美次さんが語った「夜泣き石」を語ることにしました。
「夜泣き石」は、江戸時代の会津を舞台にした話として語られていることが多いと思いますが、阿部美次さんの語りは蘆名時代の会津が舞台です。常陸の国との関わりがどちらの話にも出てきますが、蘆名氏は常陸の佐竹氏との縁戚もあり、私は、阿部美次さんが伝えてくれた蘆名時代の話のほうがより相応しいと思っています。江戸時代が舞台だと、唐突に〝水戸藩〟などという言葉が出来て、どのような関係があるのだろうと違和感を感じてしまいます。
久しぶりに語るので、改めておさらいしなければなりません(^^;
一昨年、湊かたりべの会では、大正の頃にあった湊の沸かし湯温泉宿の話=「湊温泉物語」をまとめることに力を入れていました。
私が求める昔語りの世界とは違いますが、せっかくまとめられた話なので、人前で語るに相応しい中身にしたいと考え、脚色して下のような「しぼ湯の里~湊温泉物語」と世間話風に創ってみました。

〝しぼ水〟の記述は、それなりに調べて書いたものではありますが、全面的に正しいと言えるかどうかは少々自信がありません。もしかしたら、そのうち訂正することもあるかもしれません。
取材に協力した4名のうち、2番目に名前のある齋藤邦雄は、昨年12月に亡くなった私の父ですが、もっと詳細を聞いておけば良かったと今頃思っています。
この日は、8月25日に湊で実施する「会津こと葉の会」の皆さんとの交流会の詳細についてを中心に打合せをしました。
「こと葉の会」との交流は、カフェはら笑を会場に行われ、それぞれの会が5名ずつ昔語りを行い、その後カフェで昼食交流しようということになりました。
当日何を語るかを出し合い、予行演習的に、8月19日に会内で語ってみることにしました。
因みに、私は、西田面の故阿部美次さんが語った「夜泣き石」を語ることにしました。
「夜泣き石」は、江戸時代の会津を舞台にした話として語られていることが多いと思いますが、阿部美次さんの語りは蘆名時代の会津が舞台です。常陸の国との関わりがどちらの話にも出てきますが、蘆名氏は常陸の佐竹氏との縁戚もあり、私は、阿部美次さんが伝えてくれた蘆名時代の話のほうがより相応しいと思っています。江戸時代が舞台だと、唐突に〝水戸藩〟などという言葉が出来て、どのような関係があるのだろうと違和感を感じてしまいます。
久しぶりに語るので、改めておさらいしなければなりません(^^;
一昨年、湊かたりべの会では、大正の頃にあった湊の沸かし湯温泉宿の話=「湊温泉物語」をまとめることに力を入れていました。
私が求める昔語りの世界とは違いますが、せっかくまとめられた話なので、人前で語るに相応しい中身にしたいと考え、脚色して下のような「しぼ湯の里~湊温泉物語」と世間話風に創ってみました。

〝しぼ水〟の記述は、それなりに調べて書いたものではありますが、全面的に正しいと言えるかどうかは少々自信がありません。もしかしたら、そのうち訂正することもあるかもしれません。
取材に協力した4名のうち、2番目に名前のある齋藤邦雄は、昨年12月に亡くなった私の父ですが、もっと詳細を聞いておけば良かったと今頃思っています。
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