2024.4 今年も息を切らして館山の山頂へ ~ 蘆名氏家臣鵜ノ浦甲斐守の山城跡の羽山神社で例大祭

 4月28日、この日は羽山神社の例大祭の日。上馬渡と中田・鵜ノ浦地区の神社総代と部落役員が社のある館山の頂上を目指しました。いつもながらキツい山登りで、200mほどの参道を登りきるまで私が途中休憩したのは5回だったでしょうか、6回だったでしょうか。とにかく、休み休みでなければ登れませんでした。
 長谷川守屋神社宮司は、はかまの裾をたくし上げ、装束の風呂敷包みと笏や祝詞書きの入った箱を抱えての急坂登りで、毎年のことながらその体力に驚かされます!
KIMG2723~2.JPG

 式典終了後、狭い社の中で直会を──と言っても、ほとんどの人は車の運転ですのでお酒を飲めませんでしたが──行いました。因みに、珍しく今回は私はお酒を飲むことが出来ました!(^^♪
 直会の中で、かねてよりの懸案である参道登り口の鉄製鳥居の根元が朽ちている問題をどうするかの相談がされ、地元湊町の板金業者がこのような修理をできる技術を持っているはずとの情報が出され、まずは費用の見積もりを出してもらい、その上で対応を正式に決めようとなりました。

 その後、上馬渡氏子総代代表の大竹洋一さんが、「実は──」と言って、中世の葦名時代、湊は鵜浦(うのうら)城を中心に多くの山城があり、葦名の家臣鵜浦甲斐守が治めた重要な土地だったことを知ってもらいたい、と参列者に用意した資料を配り話しました。
 資料によれば、鵜浦氏の居城と言うか居宅と言うか──は上馬渡にあったらしく、羽山神社はその屋敷神だったと考えられるとの記載がありました。鵜浦氏の居城=居宅が上馬渡にあったらしい痕跡が現に存在しており、羽山神社が鵜浦氏の屋敷神という見方にも、なるほどと思いました。
KIMG2724~2.JPGKIMG2728~2.JPG
 大竹さんは、実によく調べていて、話はとても面白かったです。
 市の教育委員会によれば、湊の山城跡は現在15か所確認されているそうで、言われてみると、〝なるほど、それぞれいいポジションに山城が配置されているな…〟と思えます。
 中世の歴史は地味かもしれませんが、湊町にも歴史に関わる場所が数多くあるようです。
KIMG2727~2.JPG
 下の年表は、市政100周年に刊行された会津若松市史2「会津、古代そして中世」の会津蘆名氏の初代佐原十郎義連が会津に所領を与えられた1189年や湊各所に板碑(いたび)が造立された1288年から1291年の記載がある部分です。
 板碑などの供養碑に対する関心は、私自身はほとんど持ったことがないのですが、蘆名氏については大変興味があります。機会があれば、蘆名時代とのかかわりの中で供養碑についても勉強してみたいと思います。
KIMG2726~2.JPG

この記事へのコメント