2023.10 上米塚・泉現寺で全会津語りの会「民話ゆかりの地めぐり」の再度の下調べ

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 10月8日、北会津町上米塚にある泉現寺の延命地蔵堂に再度行って来ました。10月15日に実施する全会津語りの会の研修会「民話ゆかりの地めぐり」の下調べのためです。
 泉現寺については、「会津への夢街道」というサイトのホームページに次のように紹介されています。

開基については不詳。
 天正年間(1573~1593)には、僧/普門が住していた。
 白米山、浄土宗。
 本尊は、阿弥陀如来 (丈2尺弱)。
 願成寺の末寺として隆盛するが、現在は高厳寺の末寺。
 ▲(会津若松市北会津町上米塚1050-1)
泉現寺 境内には、玉光堂と呼ばれる地蔵堂が建立されている。
 安置されている地蔵尊は、徳一大師の作と伝わる。
 蘆名盛氏公の典医/糟尾法印宗頤の守り本尊であった。
 極楽地蔵、延命地蔵と称され、村人の水難の災いを救う村人の守護仏として信仰されてきた。
 地蔵尊2躯や閻魔大王十二神が納められている。


 「ゆかりの地めぐり」での目的は同寺山門の脇に建つ玉光堂と名付けられた延命地蔵堂です。
 ここには、「仏罰を受けた殿様」という伝説があり、地蔵堂の傍にあった松の木を会津藩の殿様が家来に命じて伐り倒して以来病に伏し、その夢枕に現れた延命地蔵が、「わしの腰掛けの松を伐った罰だ」と告げ、自らの非を悟った殿様が地蔵に深く詫び、地蔵堂の普請の際して三葉葵の紋の入った6枚の鬼瓦を寄進したというものです。冒頭の写真は玉光堂東側にある山門の鬼瓦で、玉光堂の屋根にも葵の紋の入った4枚の瓦が見られます。(ただし、現在は1枚がなくなっています。)
 今回の下調べは、境内にマイクロバスを乗り入れられるかどうかでしたが、9日の夜に上米塚町内会区長さんに連絡がつき、バス乗り入れを相談したところ、15日は町内の皆さんによるお寺の掃除を予定しているとのことで、乗り入れは無理だということが分かりました。やむを得ません。
 しかし、町内の皆さんが集まっているので、玉光堂について多少のことは話せる者もおられるとのことで、その点では期待が持てそうで良かったです。
 なお、泉現寺の読み方ですが、事前に調べていたとある情報サイトのホームページに「いずみ・うつつ・じ」とあったので、てっきりそれが正しいと思っていましたが、上米塚の区長さんは「せんげんじ」とおっしゃっていたので、研修会当日の資料には地元での呼び方でルビをふっておこうと思います。

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